第2話 出発の朝

その日が来た

よもや戦場カメラマン2003年2月15日土曜日、昨晩こっそりフェイドアウトするように会社をあとにしたが、家に帰っても眠る時間もなく出発の朝をむかえた。2月の朝は冷え込みがきびしい。七時近くになっても、まだ外は薄暗くて、イラクへの門出は寒々しいものだった。

まだ寝室にいる母に一声かけた。すると出てきて、お餞別だといって1万円をわたしてくれた。母はわたしがイラクに行くのを知らない。もしかしたら帰ってこられない旅かもしれないのにと思うと、「インコたちをよろしくね」というのがやっとだった。

上野から京成線の特急に乗って、成田へ向かった。電車にはわたしと同じように、これから海外に行く旅人たちが安らかでワクワクした顔をして乗っていた。わたしの心の中といったらその逆だった。ひき戻せない道に一歩ずつ近づいていく苦しい気持ちではちきれそうだった。

イラク訪問団、成田でおちあう

よもや戦場カメラマン 写真2-2成田空港の集合場所近くに行くと、旗やバッジなんかもってなくても「イラク訪問団はこの人たちじゃないか?」とわかるようないでたち、風貌の人たちが何人もキョロキョロしていた。

バービーガールみたいなボンボリがついたコートを着た女の子や、鼻にピアスをいくつもつけた男の子、なんだか堅気じゃないような渋いおじさん、チョビひげ生やしたみょーにハイテンションなおじさん。「こんな時期に、あえてイラクに行こうってくらいだから、変人の集まりにちがいない」、わたしは会社までやめてきた自分のことを棚にあげて、そんなことを考えていた。

クレアさんたちと記念撮影をしていると、誰かが「これがボクらの最後の写真になったりして」と言った。みんな笑っていたけれど、心のどこかではそんな不安を消せずにいたのはたしか。

今回、ここに集まったのは、右助親分率いる「右助訪イラク団」のメンバーたち。30名くらいいたでしょうか。そのうちプレス枠として5名が参加。クレアさんとTBSのプロデューサー(♂)とAD(♀)とアラビア語通訳者(♀)。そして残る1名が無所属の私…。

この時の世界の状況としては、世界各国の100名くらいのプレス(記者やカメラマン)がイラクに入国するビザがおりないで、ヨルダンの首都アンマンで足止めされているということだった。


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